考える葦

新米SE。日々思ったことや好きな音楽など書いていこうかと 気軽にコメントしていってください、いろんな考えに触れてみたいと思っています。

考えることから逃げ出さない 「隣の芝は青い」編

今回は考えていること、自分の考え方についてアウトプットをしたいと思います。

 

私は、考える時に気をつけていることがあります。それは、表題の「考えることから逃げ出さない」ということです。

 

これは一つ、「思考停止せずに考え続けること」という意味があります。

思考停止してしまえばそこから先には何も無く、次も同じことを繰り返してしまうと考えているからです。

そこには人間的な成長はなく、更に良い結論に向かうことも無い。

そもそも人間的に成長する必要があるのか、何故成長しなければならないのかという問題もありますが、それは今回は置いておきましょう。

以前の記事でも言いましたが、思考停止や考えないこと自体悪いことだとは思いませんが、成長したいことに関しては考え抜くべきだと思っています。

なので、成長したいこと、言い換えれば変化したいことがあれば私は思考停止しないようにしています。

 

そしてもう一つの意味、それは「事実から逃げるように考えない」ということです。

気をつけなければ陥ってしまうこと。

自分の都合の良いように考えてしまうこと。

話していて感じること、私自身も気をつけていないと行ってしまうことです。

先述しましたが、私は仕事に理想を持っていました。

それは、ポジティブな方向に考えるようにして仕事にいいイメージを持つようにしていたためです。就職活動という手前、企業の人事もそうさせようとしてきたわけですが。

それは「仕事」の本質を見抜こうとせずに、仕事にいいイメージを持つことで逃げようとしたためです。

 

こういったことは私が見てきた多くの人が行っていると感じています。

やりたいことに対しては、いい側面ばかり見て悪い側面を見ない。

逆に、やりたくないことに対しては悪い側面ばかり見て、いい側面を見ない。

意見がまるで反対の人がいたとしても、それは側面が違うだけで本質的には同じ性質です。

いい側面しかみないのは、いい言い方をすれば希望を持っている、悪い側面しかみないのもいい言い方をすればリスクを考えられている、ということですが。

本当はどちらもすべきで、その上でやるべきかどうかを判断すべきで、事実にちゃんと向き合ってメリット、デメリットを判断するのが正しい姿だと思います。

そうしなければ、結局「やりたいこと」「やりたくないこと」で物事を判断してしまう。

好き嫌いから始まって、好き嫌いだけで判断することになります。

実際の姿と、自分が見た姿は別のものです。

自由になりたいと思って、実際に時間が与えられ自由になったとき、本当に楽しいのでしょうか。

 

「隣の芝は青い」という言葉がこの現象をよく表したものだと思います。

他の人は楽しく見えて、自分はそうではない。

事実や現状はそうではないかもしれないのに、そう思い込むのは現状の悪い側面しか見ていないからです。

自分の現状、事実をちゃんと判断した時に、本当に隣の芝は青く見えるでしょうか。

みんな何かしらに不満を持ちながら生きていると思います。

そんな中、他の人は幸せで自分だけ不幸だという状況ではありません。

それを考慮したうえで考えるべき、判断すべきだと思います。

そうしなければ、判断した後に、実際に想定していたいい面以外の悪い面が見えた時に辛くなるのは自分です。

「事実から目を背けない」というのは、私にとってそういった意味があります。

 

人生では判断しなければならないことがたくさんあります。

なので、判断する時、考えなければならないとき、このことを忘れないようにして欲しい。