自分の仕事は誰のため
今日は。自分の仕事は誰のため。
人と話す時、思うことがあります。
例えば、コンビニのレジで店員と話している時。
例えば、受付で分からないことを聞いている時。
こんな時によく感じるのは「聞きたいことと違う答えを話されている」ということ。
聞き方の問題もあるかもしれません。
ただ、仕事で長い間関わっている人であったり、友達として長い間接している人であれば、相手が何が必要かは判断できると思います。
具体的に言えば、B to Cの部分で、多くの聞いている側は「自分の行動はどう変化するのか」ということを気にしています。
それ以外の内部の仕組みは大体の場合興味がないことがほとんどです。
そのような説明は、必要な場合にのみ行えばよいものです。
一般的にこのような応対は「ドライ」といわれるかもしれません。
ビジネスライクといっても良いでしょう。しかし、ビジネスライクであることこそ、友人関係を除いた関係であれば、コミュニケーションを円滑に進める方法だと思います。
友人関係であれば、その無駄な時間こそが必要となる部分かもしれません。
ただ、そうでない場合、必要な情報をクリティカルに提供することこそ、仕事の上で最良のコミュニケーションだと、私は考えています。
私だけでなく、多くの人がそう考えているからこそ「ビジネスライク」という言葉があり、そういったコミュニケーションがビジネスな場での常識なのでしょう。
しかし、必要なものに対して明らかに必要の無い情報を提供する人がよくいます。
それの要因は
「普通の人はこういったことは知らないだろうから教えておいたほうがいい」
「私は知っているから教えたい」
という、相手によって変化するような価値観ではなく自分主体の価値観であり、自分が話したいから話すという部分です。
ビジネスの場において、はっきりいってこの部分は「無駄なコミュニケーション」です。
この部分を以下にそぎ落とせるかが、効率的なコミュニケーションのためには必要で、仕事ではコミュニケーションの齟齬や、無駄によって業務効率が低下する場面は多々あります。
効率的なコミュニケーションとは、聞いた側の目的に対して必要な情報を提供することです。
そのために、聞く側は目的をはっきりさせる必要がありますし、聞かれた側は目的を汲み取る必要があります。それは、仕事上のマナーだと私は考えています。
それは、B to Cという形態だろうが、B to Bだろうが同じです。ただ、目的のレベルが変化するということだけです。
B to Cであれば、行動ベースで変化するだけで、B to Bではそうでなくもっと抽象的なこともある、ただそれだけです。
にもかかわらず、無駄なコミュニケーションが絶えないのは自分視点の考えをもっているからなのではないでしょうか。
そこまで考えて行動していないだけ、という言い方もできますが、仕事の質を向上させるなら、そこまで考えるべきではないでしょうか。
でなければ「自分の仕事は何のために行っているのか」という問いに対し、「ただ自分の生活のために行っている」という答えしか出てきません。
「誰かの役に立ちたい、相手を笑顔にする仕事にしたい」という、ある種現実的でない理想論を求め、目指すなら、まずは相手の言葉に耳を傾けてください。
そして、相手の言葉を、そして目的を理解してください。
こうして初めて相手のためになる基盤ができると思います。
勿論生活のために仕事をする、そういう問いも悪くはないと思います。
ただ、多くの人間はどこかに「誰かに認められたい」という承認欲求を持っており、「誰かの役に立ちたい」、そして「必要とされたい」と感じていると思います。
だとしたら、まずは「相手の役に立つ人間になること」だと思います。
と、仕事や日常生活で仕事をしている人に触れて考える機会があったので。
ハードルが高いのは重々承知していますが、こうやって仕事する人が増えたら社会がもっと楽なのになと思いますね。